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太田はこう思う : ウィキペディア日本語版
爆笑問題カーボーイ[かようじゃんく ばくしょうもんだいかーぼーい]

火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(かようジャンク ばくしょうもんだいカーボーイ)は、TBSラジオ他で放送されている、お笑いコンビの爆笑問題田中裕二太田光)がパーソナリティを務めているラジオ番組
1997年4月8日放送開始。放送時間は毎週火曜25:00〜27:00(開始から1997年9月までは25:30開始)。
== 歴史 ==

* 1997年4月8日 - 『火曜UP'S 爆笑問題カウボーイ』(当時はこの表記であった。後述)第1回。当時は火曜深夜25:30-27:00の生放送だった。これ以前にパイロット版といえる『UP'Sスペシャル 爆笑問題'97』(1997年1月)、『UP'Sスペシャル 爆笑問題スプリング』(1997年3月)の2番組をマンスリーパーソナリティで担当。
* 1997年5月 - 太田の提案で『火曜UP'S 爆笑問題カーボーイ』に改題。
* 1997年10月 - 放送時間が変更。現在の2時間番組に。
* 1999年6月29日 - アメリカニューヨークから生放送。
* 2000年2月15日 - 初の録音放送(録って出し)。
* 2000年2月22日、第151回 ゲストとして明石家さんま出演。スペシャルウィーク特別企画「CDさんま」が行われた。
* 2000年3月 - 『UP'S』枠が終了。4月から『爆笑問題カーボーイ』に。
* 2000年4月 - 『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)水曜日にレギュラー出演が始まり、スケジュール的な負担を理由に生放送は隔週となり、それ以外は火曜日の19時〜21時頃に録音したものを編集せずに放送する現在のスタイルが定着。
* 2000年9月12日 - 田中が睾丸肥大により緊急入院。翌週9月19日を含め2週にわたり田中は欠席した。
* 2000年9月19日 - この週から2006年3月21日まで録音放送が続く。
* 2001年1月2日 - この日の放送にて全コーナーの廃止(「CD田中」は後に復活)が発表される。以後1年ほどの間、数多くのコーナーが乱立する状態が続く。
* 2001年9月11日 - アメリカ同時多発テロ事件が発生。番組はすでに収録されていたが、報道特別番組のため休止となった。
* 2002年4月より『JUNK』がスタート。現在の『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』に。
* 2002年12月31日 - 大晦日特番のため、前述の報道特番での休止以外では初の1週休みとなった。
* 2003年10月21日 - スペシャルウィーク特別企画「太田はこう思う」第1回。
* 2006年2月21日、スペシャルウィーク特別企画「太田のこれを読め」。太田によるラジオでの書評。
* 2006年3月28日、『タモリのジャポニカロゴス』(フジテレビ系)の特番を収録したため、約5年半ぶりの生放送を行う。その際、当時直前に放送されていた『夜な夜なニュースいぢり X-Radio バツラジ』に生出演し、パーソナリティ・宮川賢に挨拶した。以降、スケジュールの都合で当番組の収録の時間が取れない場合、前週に告知をした上で生放送を行うようになる。
* 2006年11月7日 - 「第700回記念」という名目だったが、ディレクター・小塙が2006年6月13日以降の放送回数を実際より200回多くカウントしており、正式には「第500回記念」だった。リスナーからのメールにより当日の放送でディレクター、プロデューサーが「謝罪」。また同年12月17日放送の『伊集院光 日曜日の秘密基地』の「TBSラジオ珍プレー好プレー大賞」や、2007年2月24日放送の特別番組『TBSラジオ蔵出し名人傑作選 宮川賢の歌だ!ラジオだ!人生だ!』でもこの模様が再放送された。
* 2007年9月11日 - 「9・11あの幻の放送を振り返る生放送」として、前述の「お蔵入り」した2001年9月11日の収録回を流しつつ、2か月ぶりの生放送。当時の大まかな放送内容を田中が解説し、オープニングトーク、ネタの一部が公開された。
* 2008年1月29日 - 「思っちゃったんだからしょうがない」「私も卒業歌ってみました」以外の全コーナーが休止され、6つの新コーナーを告知。
* 2008年2月19日 - スペシャルウィークの企画で、一夜限りの復活をしたヒロシ&キーボー本人が、リスナーから送られてきた「3年目の浮気」の替え歌を歌った。
* 2008年12月2日 - 太田がヘルニア手術のため、通常は放送当日の火曜収録のところを前週金曜(11月28日)収録に変更され放送。
* 2009年7月7日 - この週から『JUNK』が大阪・ABCラジオで放送開始。当番組も5局ネットになった。
* 2010年6月15日 - 約半年ぶりの生放送。太田が放送の収録時間にビートたけし立川談志の対談に付き添いで行く事になったため生放送で行うことになった。
* 2010年6月29日 - 2週ぶりの生放送でゲストは山崎樹範が前週に引き続きゲスト出演(2週連続同じゲストは稀である)。また、1時台には前番組『ニュース探究ラジオ Dig』に当時出演していたTBSアナウンサー・竹内香苗が乱入した。この日は『FIFAワールドカップ 日本VSパラグアイ』中継のため、放送局によってネット開始時刻が異なった〔サッカー中継をしなかったRKBは通常通り1時から放送され(裏送り)、TBS・HBCRBCの3局は1時10分、ABCは独自のハイライト特番放送のため1時30分からの飛び乗りの予定だったものの中継が長引いたためTBS・HBC・RBCは2時から、ABCは2時10分から飛び乗りとなった。〕。
* 2010年7月6日 - 2週連続の生放送。この日は当番組放送前に太田が『Dig』に乱入した。
* 2010年11月4日 - 当番組と『金曜JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD』が初の番組DVDを発売。
* 2011年2月23日 - スペシャルウィークに松村邦洋をゲストに迎え、裏番組にも関わらず「俺たちのオールナイトニッポンを語ろうスペシャル」を放送。
* 2011年3月15日 - この週は東日本大震災の報道特別番組のため、『JUNK』は10分程度の生放送となった(番組表には掲載されず、報道特番の冒頭でのコメントという扱い)。爆笑問題も被災者やリスナーへのメッセージを伝えた。
* 2011年7月26日 - この回のみラジオ福島でも放送された〔通常は『miwaのオールナイトニッポン』であるが、その日は特別番組で『SKE48のオールナイトニッポン』が放送されたため。〕。
* 2011年12月から2012年4月までのスペシャルウィークは放送開始15周年企画を放送した。
 * 2011年12月12日(第1弾) - 「爆笑問題カーボーイのライバルさんいらっしゃいスペシャル」と題して、過去の裏番組について語る企画を放送。ゲストに『U-turnの@llnightnippon.com ミュージックキング』〔1999年3月から同年9月までの裏番組。後に土曜日に移動した。〕(ニッポン放送系、1999年3月-2000年3月)のパーソナリティを務めていた土田晃之が出演した。
 * 2012年2月21日(第2弾) - 「爆笑問題カーボーイ15周年クイズ」と題して、番組のエピソードをクイズ形式でリスナーから募集。前週2月14日に出題し、当日は正解とともに当時の録音を紹介。ゲストに当番組のリスナーで投稿の経験もあるオリエンタルラジオ中田敦彦が出演した。
 * 2012年4月17日(第3弾) - 「15年の間にこんなに立派になりました」と題して、リスナーの15年間の変化・近況報告とそれについて詠んだ川柳を募集。「私は立派になりました組」か「私は立派になっていません組」を投稿者が申告し、どちらが面白いかを判定した。ゲストとしてハライチが出演した。
* 2012年6月19日 - この日は爆笑問題が漫才新人大賞の司会を務めたため生放送。オープニングに『LINDA!〜今夜はあなたをねらい撃ち〜』終了直後の柴田英嗣が乱入した。また、この日は台風4号が日本を縦断、当日深夜には関東地方に接近していたため、番組冒頭で台風情報が放送された。
* 2012年8月7日 - ロンドンオリンピックサッカー男子準決勝中継のため、TBSのみ放送休止。
* 2012年11月13日 - 当日に田中が伝染性単核球症による肝機能障害で緊急入院したため、代打としてコントライブの告知でエンディングに出演予定だったタイタン所属の後輩芸人・ウエストランドが2時間出演した。翌週11月20日には同じく後輩芸人のツインタワー日本エレキテル連合が出演した。
* 2013年12月31日 - 12月31日夜に、爆笑問題が特別番組『大晦日スポーツ祭り! KYOKUGEN2013』に生出演したため生放送。冒頭は、爆笑問題が横浜スタジアムから移動中の車内で電話出演。ウエストランドがスタジオ出演した。
* 2014年9月2日 - ディレクターが、番組開始から担当していた小塙治男からADの越崎恭平に交代。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「爆笑問題カーボーイ」の詳細全文を読む



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