翻訳と辞書
Words near each other
・ 太田バイパス
・ 太田バイパス (国道354号)
・ 太田バイパス (岐阜県)
・ 太田バイパス (群馬県)
・ 太田バスターミナル
・ 太田パーキングエリア
・ 太田フレックス高校
・ 太田フレックス高等学校
・ 太田プロ
・ 太田プロエンタテイメント学院
太田プロダクション
・ 太田ポン柑
・ 太田マサトシ
・ 太田モアレ
・ 太田・境バイパス
・ 太田一也
・ 太田一吉
・ 太田一夫
・ 太田一平
・ 太田一平 (プロレスラー)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

太田プロダクション : ウィキペディア日本語版
太田プロダクション[おおたぷろだくしょん]

株式会社太田プロダクション(おおたプロダクション)は、日本芸能事務所。所在地は東京都新宿区
1963年昭和38年)7月20日新宿松竹文化演芸場の支配人から転身した磯野勉が設立。磯野は高齢となったこともあり会長に退き、民放テレビ局勤務の経験がある息子の太が社長職を引き継いだ。太の母で勉夫人の磯野(旧姓:太田)泰子が副社長を務める。日本音楽事業者協会(音事協)に加盟している。
== 概要 ==
関東では老舗のお笑いタレント事務所。創設以来数々のお笑いタレントを輩出している。
1960年代初期のトリオコント・ブームでは、てんぷくトリオナンセンストリオ、トリオ・スカイライン、ギャグメッセンジャーズを輩出。1970年代末期の第一次ものまねブームでは、はたけんじ、若人あきら(現・我修院達也)や、当時、コミックバンドとして活動していた殿さまキングスを輩出した。
1980年代の漫才ブーム以降は、『オレたちひょうきん族』に出演したツービート片岡鶴太郎山田邦子らを次々と世に送り出した。1990年代以降はダチョウ倶楽部松村邦洋有吉弘行劇団ひとりといったお笑い芸人を輩出しており、主にピン芸人が活躍する傾向にある。
川島なお美高島礼子斉藤慶子俳優陣も多数在籍している。
1980年代にはビートたけしや片岡鶴太郎、山田邦子らといった当時のテレビ界には必要不可欠だったタレントを数多く抱えていたことから「泣く子も黙る太田プロ」と称され、在京キー局においては吉本興業以上に強い影響力を持っていたが、たけしをはじめとしたたけし軍団らが独立しオフィス北野を設立したことや、看板タレントの一人である片岡鶴太郎が俳優業にシフトしたことにより一時の影響力は影を潜めている。その後も所属タレントの独立・移籍・解散などが繰り返されながらも、一線で活動する数多くの有名俳優やタレントを抱えている。
2000年代後半以降はAKB48大島優子〔2014年6月に卒業。〕、前田敦子〔2012年8月に卒業。〕、小野恵令奈〔2010年9月に卒業。同年11月に当事務所との契約終了。2011年10月よりレプロエンタテインメントに所属。〕、指原莉乃〔2012年6月にHKT48に移籍。〕、北原里英野呂佳代〔2010年2月に卒業しSDN48に完全移籍。2012年3月にSDN48を卒業。〕、横山由依入山杏奈office48AKSから移籍している。またプロボクサーのライセンスを取得した片岡鶴太郎の縁で、元プロボクシング世界王者のマネジメントも手掛けている。東京・名古屋にタレント養成スクール(太田プロエンタテイメント学院)を開設。2015年には福岡にも開設する予定。
所属タレントの報酬ギャラ)は社長から現金で手渡しというシステムを取っている〔『たかじん胸いっぱい』で上島竜兵が出演した時に語った。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「太田プロダクション」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.