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太田一夫
太田 一夫(おおた かずお、1910年11月19日 - 1990年11月3日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員(5期)。保革を問わず「いっぷさん」と親しまれた〔『中日新聞』1990年11月4日 朝刊 「元社党代議士 私鉄総連顧問 太田一夫氏死去」〕。岡崎市名誉市民。 == 概要 == 愛知県矢作町大字渡(現・岡崎市渡町)生まれ。碧海郡矢作高等小学校(現・岡崎市立矢作中学校)を経て〔『愛知新聞』1958年3月12日〕、1927年(昭和2年)に上京。東京市下谷区の岩倉鉄道学校(現・岩倉高等学校)に入学。下谷区坂本町4丁目にあった東京朝日新聞の新聞販売店で住み込みで働きながら、昼間は学校に通う。1929年(昭和4年)10月、同校を卒業。12月、名古屋鉄道株式会社に入社。 1945年(昭和20年)12月10日、名古屋鉄道労組を結成。1948年(昭和23年)8月、名古屋鉄道労組書記長、私鉄中部地連書記長に就任。同年の最低賃金制闘争では陣頭に立ち、全国私鉄初の24時間ストを断行した〔。1957年(昭和32年)、日本社会党に入党。1958年(昭和33年)1月、『月刊岡崎ジャーナル誌』の主幹となる。 1958年(昭和33年)5月22日に行われた第28回衆議院議員総選挙に旧愛知4区より立候補。初出馬ながらトップ当選を果たした。1975年(昭和50年)12月、衆議院交通安全対策特別委員長に就任〔。1979年(昭和54年)9月7日の解散を機に政界を引退。その間5期当選した(以下を参照)。 1980年(昭和55年)10月8日、岡崎市市政顧問に就任。1981年(昭和56年)11月、勲二等瑞宝章受章。1990年(平成2年)11月3日、名古屋市立大学病院で死去。。翌1991年(平成3年)7月1日、岡崎市名誉市民の称号が贈られる〔名誉市民 | 岡崎市ホームページ 〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田一夫」の詳細全文を読む
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