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太田 吉彰(おおた よしあき、1983年6月11日 - )は、静岡県浜北市(現浜松市浜北区)出身のサッカー選手。ポジションはMF。2015年よりJリーグ・ジュビロ磐田に所属。 実兄はサッカー選手の太田圭輔。 == 来歴 == 静岡選抜で太田と一緒にプレーした経験がある長谷部誠らが証言しているように、元々はトップ下の選手だった。しかし磐田ユースに加入後、トップ下では自分に将来がないと感じ、ずっと目標としてきた兄・圭輔と同じようなサイドアタッカーに転身することを決断。当時はスタミナもそこそこ、足も特に速いわけではなかったが、トレーニングで自身の肉体を変貌させ、高校3年時には今のようなプレースタイルの選手になり、FWやサイドハーフでプレーして得点を量産。本人も予想もしていなかった(3年までポジションを取れなかったため)トップチーム昇格を果たす。 クロスの精度や守備力に難があったが、ひたむきに練習を重ねて磐田の世代交代の波に乗りトップデビューを果たすと、初先発の試合でいきなりゴールを決めるなどして一気にレギュラー格に定着。2005年シーズンはMF陣最多得点をあげ、2006年はアジウソン体制で完全に攻撃の中心として位置付けられ、2007年からは再びFWもこなすようになるなど、当時の磐田を支えた選手の1人であった。2008年シーズンは右サイドの駒野友一の移籍加入と、4月に練習試合で前十字靭帯断裂の怪我を負ったためシーズンの大半を棒に振っている。 2009年、開幕からスタメン出場だったが不調で、イ・グノの加入によりサイドハーフに回ったジウシーニョなどにレギュラーを奪われた。その後、海外挑戦するため、7月に磐田を退団したが獲得クラブは現れず、年内いっぱいは無所属となったが、2010年にベガルタ仙台へ完全移籍加入。 加入初年度こそチャンスに恵まれなかったものの、2011年は途中退団したマルキーニョスに代わってFW起用される。東日本大震災後、J再開川崎戦にて、両足が激しく攣った状態でゴールを挙げ、その直後に負傷交代した。このゴールは「やべっちF.C.」にて名波浩により「魂のゴール」と評されている。2012年は本職のサイドハーフとしてプレーし、MF梁勇基の負傷により開幕から先発。梁が復帰すると今度はMF関口訓充に代わって引き続き先発。関口の復帰後も先発を明け渡すことなく、フィールドプレーヤーで唯一のリーグ戦全試合出場を果たした。2013年、2014年もリーグ戦全試合に出場。 2015年1月7日、約6年ぶりにジュビロ磐田へ完全移籍で復帰することが発表された〔太田吉彰選手が完全移籍加入 ジュビロ磐田公式サイト 2015.1.7付ニュースリリース〕。背番号は、かつて中山雅史が付けていた9番〔J1復帰目指す磐田が今季の背番号決定!6年ぶり復帰の太田は9番、10と18は空き番号に ゲキサカ 2015.1.27付ニュースリリース〕。開幕戦となったギラヴァンツ北九州戦では、ジェイのゴールをアシストした〔磐田、ホームで逆転勝ち J2開幕戦 中日新聞 2015.3.9〕り、プレー面ではチームに貢献していたが、なかなか得点が奪えなかったが第30節の徳島戦で移籍後初ゴールを決めた〔磐田3試合ぶり白星、太田「これから乗っていける」 日刊スポーツ 2015.8.23〕。2015年シーズンは39試合に出場し、ジュビロのJ1昇格へ貢献した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田吉彰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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