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太田正男 : ウィキペディア日本語版
太田正男[おおた まさお]

太田 正男(おおた まさお、1933年8月9日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手
== 来歴・人物 ==
長崎商業では大阪タイガースでプレー経験のある比留木虎雄監督の元で後にタイガースでプレーする河津憲一と共に第24回選抜高等学校野球大会第34回全国高等学校野球選手権大会に出場した。春はベスト8、夏は準決勝まで進出した〔長商の歴史:ゆ~かりの樹の下で 太田正男 〕。
同世代で甲子園でも活躍し、後に毎日・大毎で活躍する植村義信南海で活躍する木村保と共に高校三羽烏とも言われており、プロ注目の投手としてスカウトも集まった。しかし、契約解禁前に西鉄ライオンズが太田と契約。解禁後、タイガーススカウトの青木一三が太田獲得へ九州へと乗り出し、青木は毎日のように太田家へ顔を出していたので顔なじみとなっていた。そして、青木は西鉄の契約を知った上で太田と契約したため二重契約となった。この問題は解禁前に契約した西鉄が悪いが、西鉄との関係を悪化させたくなかった田中義一代表は太田の契約を破棄したため太田は西鉄へと入団が決まり、代わりにタイガースは太田の同僚だった河津を獲得した〔げんまつWEBタイガース歴史研究室 太田正男 〕。
1955年大映スターズへ途中移籍し、高橋、毎日と合併後の1959年引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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