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太田 資政(おおた すけまさ、寛永元年(1624年) - 寛文10年5月19日(1670年7月6日))は、江戸時代初期の譜代大名太田資宗の長男で嫡子。母は板倉重宗の娘。初名は資周。官職は志摩介。 太田資宗の嫡男として生まれ、寛永16年(1639年)に徳川家光に拝謁する。しかし、慶安4年(1651年)頃に廃嫡され、家督を相続することはなかった。代わって、次弟の資次が嫡子となった。寛文10年(1670年)、47歳で没。 category:廃嫡された人物 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田資政」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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