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太田 資晴(おおた すけはる)は、駿河田中藩第2代藩主、陸奥棚倉藩主、上野館林藩主。江戸幕府の寺社奉行、若年寄、大坂城代。掛川藩太田家4代。 == 生涯== 田中藩初代藩主・太田資直の五男として生まれる。4人の兄が早世したため世子となり、宝永2年(1705年)に父の死により家督を相続。同年、陸奥棚倉に移封された。享保8年(1723年)に奏者番、同10年(1725年)寺社奉行、同13年(1728年)に若年寄と累進し、上野館林に転封。享保19年(1734年)には大坂城代に任じられ、摂津周辺で5万石を与えられた。元文5年(1740年)に45歳で死去。跡を長男の資俊が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田資晴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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