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太田資直 : ウィキペディア日本語版
太田資直[おおた すけなお]

太田 資直(おおた すけなお)は、駿河田中藩の初代藩主。掛川藩太田家3代。
== 生涯 ==
万治元年(1658年)、大坂城代寺社奉行を務めた太田資次の次男として生まれる。寛永12年(1672年)12月28日に従五位下・備後守に叙位・任官する。天和3年(1683年)8月11日に備中守に遷任する。貞享元年(1684年)4月に父が死去したため、家督を継いで摂津・河内下総などの所領、およそ5万2000石を相続した。このとき、弟の資方に常陸2000石を分与したため、5万石となる。7月19日に駿河田中に移封された。
貞享2年(1685年)6月10日に奏者番に任じられ、8月9日に若年寄に任じられる。9月4日に摂津守に遷任する。貞享3年(1686年)1月11日、将軍・徳川綱吉近習に任じられたが、6月29日に病を理由に辞任する。しかしこれが綱吉の怒りを買い、元禄元年(1688年)12月18日まで出仕を停止された。
宝永2年(1705年)1月2日、田中で死去。享年48。長男から四男は全て早世していたため、末子で五男の資晴が跡を継いだ。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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