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夷堅志 : ウィキペディア日本語版
夷堅志[いけんし]

夷堅志』(いけんし)は、中国南宋洪邁(1123年 - 1202年)が編纂した志怪小説集である。1198年慶元4年)頃の成立、206巻。
== 撰者・洪邁(1123年 - 1202年) ==
字は景廬、容斎先生または野処と号する。江西省鄱陽県の人。南宋の政治家の洪皓後遼耶律大石などを記した『松漠紀聞』の著者)の子で、洪遵らの弟に当たる。1145年紹興15年)に科挙の博学宏詞科に及第、両浙転運司幹弁公事となり、左司員外郎に昇任した。しかし、朝との講和論を主張する宰相の秦檜に徹底して反対したので、1163年隆興元年)に左遷され、泉州・吉州などの知州を歴任したが、地方官としての名声が高く、中央に復帰して、起居郎・中書舎人兼侍読、直学士院を経た後、1186年淳熙13年)には翰林学士に昇進し、監修国史を兼ね、四朝国史(神宗哲宗徽宗欽宗)を編纂した。その後、端明殿学士となったが、官を辞した後に没した。その経歴の間に見聞したという怪事や異事などを取りまとめ、書き記したのが本書である。また、その随筆である『容斎随筆』も名高い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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