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夷陵の戦い[いりょうのたたかい]
夷陵の戦い(いりょうのたたかい、中国語: 夷陵之戰 又は猇亭之戰)は中国三国時代の222年に行われた、三峡における蜀漢皇帝劉備率いる蜀漢軍と、呉王孫権の武将陸遜率いる呉軍との間の戦いである。戦場となったのは白帝城から夷道までの三峡全域となるが、三国志演義に記された決戦場に因んで「夷陵の戦い」と称される。 == 事前の経緯 == 208年の赤壁の戦いに於いて主要な活躍をした孫権勢力であったが、その後、劉備が荊州の5郡を占拠し、このことに強い不満を抱いていた。劉備勢力はこの荊州に加えて、西の益州(四川)を獲得し、北の曹操勢力に対抗する態勢を整えつつあった。その後、孫権の荊州の引渡し要求に対して、劉備は2郡を譲渡するに留まった。孫権勢力では親劉備派と反劉備派に分かれて意見が対立していた。赤壁以後の政権を執っていた魯粛は親劉備派だったが、魯粛の死後は反劉備派の勢力が強くなり、荊州を守備する関羽と対峙するように呂蒙が派遣された。 219年、劉備が漢中を攻略し、一方で荊州の守将であった関羽が曹操領の荊州の拠点である樊城を攻撃した(樊城の戦い)。このことを好機と見た孫権は曹操と同盟を結び、呂蒙らを派遣して荊州侵攻作戦を開始し、関羽を捕らえて殺し、荊州を領有することに成功した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夷陵の戦い」の詳細全文を読む
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