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奈多鑑基[なだ あきもと]
奈多 鑑基(なだ あきもと)は、戦国時代の武将。大友氏の家臣。 奈多氏は豊後国安岐郷にある奈多八幡宮の大宮司家である。 大友義鑑から偏諱を受け鑑基を名乗る。奈多八幡大宮司を継いだ鑑基は、義鑑の子義鎮(宗麟)から寺社奉行に任じられている。また、鑑基は大友氏の武将として、数々の合戦に出陣し戦功を挙げるが、永禄12年(1569年)立花鑑載攻めに参戦して陣没した(病没した)といわれる。 長子・政基は、永禄8年(1565年)7月の立花鑑載討伐の際に戦死していたため、鎮基が家督を継ぐ。 鑑基は寺社奉行としての権限を私的に利用したとして子鎮基と共に悪名高い。次子の親基(田原親賢)は田原氏分家の武蔵田原氏の田原親資の養子となり、娘の奈多夫人は大友義鎮の正室となっているが、彼等の後世の評判も芳しくない。 鑑基の死去後、跡を継いだ鎮基は天正16年(1588年)に亡くなり養子の万福丸(公家久我晴通の子)が継ぐが、後に京都に帰ってしまい、奈多氏は断絶した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奈多鑑基」の詳細全文を読む
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