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奉天派[ほうてんは]
奉天派(ほうてんは)は、中華民国の軍閥。北洋軍閥で分派で中国東北部を基盤として日本の支援を受けていた。総帥は張作霖と息子の張学良。
== 歴史 ==
清朝末期、満州の馬賊だった張作霖は、軍に帰順して馬賊、匪賊討伐、帰順工作をして勢力を拡大し新建陸軍から派遣されてきた部隊と統合され指揮下に入る。辛亥革命が勃発すると清朝側だった満州総督を支持し革命派の軍指導部を殺害し中華民国建国後、袁世凱を支持し満州の軍権を手に入れ彼が亡くなる直前の1917年には、配下の総督を追放し名実ともに満州の支配者となった。権益を守りたい日本は、奉天派に軍事顧問団を置き、教育、訓練を行い、日本の陸軍士官学校への留学を斡旋し武器弾薬も支援している。 三公子会議の後、安徽派と孫文の広東政権と反直三角同盟を結んだ。1928年蒋介石の北伐に負けると、張作霖は北京を脱出し、瀋陽郊外の皇姑屯で暗殺された(張作霖爆殺事件)。後を継いだ張学良は蒋介石に降伏し(易幟)、奉天派は中国東北部の防衛軍へと改編されたが依然として軍閥として君臨し中原大戦では蒋介石に援軍を送って勝利させ華北に進出した。しかし、満州事変によって満州から華北に追い出されそこでは、日本軍との交戦もできず共産党の討伐に駆り出され敗れ去った。税収もなく自滅が避けられなくたったことから西安事件をおこしたが総帥の張学良は逮捕され西安にいた将軍と将校たちは内紛をおこし軍は解体、兵士たちは国民党、共産党に吸収された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奉天派」の詳細全文を読む
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