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奥住恒二(おくずみ つねじ、? - 2015年5月16日)は日本のアイスホッケー指導者。日本アイスホッケー連盟第4代会長を2011年7月1日から務めた。東京都青梅市出身。代表取締役社長も務めた奥住運輸は、福祉バスの事業化に成功している〔。 == 経歴 == 法政大学を卒業後、同大学や法政大学第一高等学校のアイスホッケー部のコーチ、国民体育大会東京成年代表監督などを務めた後、2009年から東京都アイスホッケー連盟会長を2011年5月まで務めた〔。明星大学、昭和大学、日本大学鶴ヶ丘高等学校でもコーチを務めた。 1964年に青梅市に人工スケート場が開設されたことから、東京都で最も古い小中学生アイスホッケーチームの西東京インディアンズをスタートさせた。1994年からは昭和の森スケートリンクを練習会場とした〔[快汗]西東京インディアンズ 氷上の格闘技が養う、年代超えた仲の良さ=多摩 読売新聞 2001年11月20日 東京朝刊33頁〕。 2011年6月18日、任期終了となる遅塚研一に代わる日本アイスホッケー連盟会長に選任された。新会長に選任された際の会見では、女子代表がオリンピックに出場することが夢だと話した〔。女子代表は彼の会長在任中にソチオリンピック出場を決めた〔。 2013年11月にはチェコ、スイス、ドイツ、スロバキア代表を招いてブリヂストンが協賛する女子アイスホッケー5カ国対抗戦「スマイルジャパン ブリヂストン ブリザックチャレンジ」を開催した。 2015年5月16日死去〔訃報:奥住恒二さん73歳=元日本アイスホッケー連盟会長 毎日新聞 2015年5月19日閲覧〕。73歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥住恒二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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