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奥州合戦[おうしゅうかっせん]
奥州合戦(おうしゅうかっせん)は、文治5年(1189年)7月から9月にかけて、鎌倉政権と奥州藤原氏との間で東北地方にて行われた一連の戦いの総称である。この戦役により、源頼朝による武士政権が確立した。また治承4年(1180年)に始まる内乱時代(治承・寿永の乱)の最後にあたる戦争でもある。 == 呼称 == 鎌倉側の兵力動員に関わる古文書の多くはこの戦争を奥入、奥入り(おくいり)と呼んでおり、奥州追討(おうしゅうついとう)、奥州合戦と記した文書もある。鎌倉幕府の史書『吾妻鏡』は奥州征伐(おうしゅうせいばつ)とするが、奥州合戦と記す箇所もある〔『多賀城市史』第1巻418-420頁。〕。 明治以降の歴史学では『吾妻鏡』を踏襲して奥州征伐と呼ばれていた。1978年(昭和53年)に歴史学者の入間田宣夫が、鎌倉幕府の側に立った呼び方を問題視し、当時の様々な呼び方のうち「奥州合戦」がどちらがわにも偏らないとして、「文治五年奥州合戦」という呼び方を提唱した〔入間田宣夫「鎌倉幕府と奥羽両国」、『中世奥羽の世界』42-43頁。〕。これにより、20世紀末までにほぼ「奥州合戦」が用語として定着した〔『多賀城市史』第1巻419頁。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥州合戦」の詳細全文を読む
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