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奥平剛士[おくだいら つよし] 奥平 剛士(おくだいら つよし、1945年7月 - 1972年5月30日)は日本の新左翼活動家。日本赤軍創設メンバーで最高幹部。同じく日本赤軍メンバーの奥平純三は弟。 ==概要== 山口県下関市生まれ。1960年に山口県立下関西高等学校に入学したが、6月に岡山県立岡山朝日高等学校に転校。 1964年、京都大学工学部に入学。在学中の奥平はセツルメント活動をしており、日本共産党系の青年団体である日本民主青年同盟(民青同盟)の同盟員にもなっていた。約半年で民青をやめた後、全共闘運動に参加。京大助手だった滝田修のパルチザンの構想に影響を受けている。 1971年2月2日、赤軍派の重信房子と偽装結婚。そのあとレバノンのベイルートへ出国。1972年5月30日に岡本公三・安田安之らとテルアビブ空港乱射事件を起こし、安田と共に死亡する。死因については空港警備隊との銃撃戦で射殺されたとも、安田と共に自殺したとも言われ詳しくは分かっていない。 没後1978年、田畑書店より遺文集『天よ、我に仕事を与えよ』が出版された(タイトルは彼自身の言葉による)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥平剛士」の詳細全文を読む
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