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奥平 昌章(おくだいら まさあきら)は、出羽山形藩第2代藩主、のち下野宇都宮藩初代藩主。中津藩奥平家4代。 == 生涯 == === 山形藩主時代 === 寛文8年(1668年)3月24日、肥前福江藩主五島盛勝の次男(三男とも)として生まれる。 寛文12年(1672年)に母方の伯父の山形藩主奥平昌能の末期養子に迎えられ、昌能の死去により家督を継いだ。長男、長女に先立たれた昌能には娘2人が遺されていたが、いずれも年長で、次女のくら姫は松平乗春の正室となり、より歳の近い三女の菊姫(寛文4年(1664年)生まれ)と結婚する。天和元年12月27日(1682年2月4日)には従五位下・美作守に叙位・任官される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥平昌章」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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