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奥平貞守[おくだいら さだもり] 奥平 貞守(おくだいら さだもり、慶長19年(1614年) - 貞享元年12月21日(1685年1月25日))は、伊予松山藩家老、奥平藤左衛門家2代当主。 父は奥平貞由。伯母は松平定勝室(二之丸殿)。子は奥平貞虎。通称長七郎、源兵衛、藤左衛門。 == 生涯 == 慶長19年(1614年)遠江掛川で、久松松平家家臣奥平貞由の子として生まれる。寛永12年(1635年)家中の席次の争いから、備前下津井に退去する。寛永14年(1637年)従兄弟の伊予今治藩主松平定房の招きで今治に赴く。寛永18年(1641年)伯母二之丸殿の仲裁で、伊予松山藩に帰参。寛永19年(1642年)江戸詰となり、新知300石を賜り大名分となる。後100石の加増を受け家老となる。明暦元年(1655年)父の死去により、家督と知行1800石を相続。寛文元年(1662年)200石の加増を受ける。寛文2年(1663年)藩主松平定長の家督相続御礼言上の際に、江戸城で将軍徳川家綱に拝謁する。寛文5年(1665年)300石の加増を受ける。寛文8年(1668年)200石の加増を受け知行2500石となる。延宝7年(1679年)堺の商人西九郎兵衛より大名物北野茄子茶入を購入して藩主松平定直に献上する。貞享元年(1685年)家老職を辞職し隠居。家督を嫡男貞虎に譲る。 貞享元年(1685年)12月21日死去。享年72。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥平貞守」の詳細全文を読む
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