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姉小路 公遂(あねがこうじ きんすい、寛政6年6月13日(1794年7月9日) - 安政4年1月29日(1857年2月23日))は、江戸時代の公卿。姉小路公春の子。正室は松浦清の娘、継室は三条公修の娘。子には姉小路公前(公知の父)・石山基文・澤宣嘉らがいる。 == 年譜 == *享和2年(1802年)に従五位下に任じられる。 *文化元年(1804年)に元服する。 *文化2年(1805年)従五位上。 *文化4年(1807年)正五位下。 *文化6年(1809年)侍従となる。 *文化7年(1810年)従四位下。 *文化9年(1812年)左近衛権中将となる。 *文化10年(1813年)従四位上。 *文化12年(1815年)正四位下。 *文政元年(1818年)近江介兼務。 *文政4年(1821年)右近衛権中将となる。 *天保2年(1832年)右近衛中将となる。 *天保3年(1833年)従三位参議となり、公卿に加わる。 *天保4年(1834年)権中納言となる。 *天保7年(1837年)正三位。 *天保13年(1843年)従二位。 *弘化3年(1846年)正二位。 *安政4年(1857年)病気のために権中納言を辞任して間もなく薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「姉小路公遂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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