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姚作賓[よう さくひん]
姚 作賓(よう さくひん、)は、中華民国の政治家。 == 事績 ==
=== 民国初期の活動 === 若年時代に日本へ留学し、明治大学政治経済科を卒業。辛亥革命、二次革命に革命派として参加し、護国戦争では山東省方面で航空隊員として活動した。五四運動に際しては、中華民国学生連合会総局理事長を務め、1921年(民国11年)にはロシア入りしてロシア共産党幹部と対談・議論したが、この時に姚作賓は共産主義の矛盾を感じてこれを放棄した〔東亜問題調査会編(1941)、195頁。〕。 帰国後の1922年(民国11年)に姚作賓は青島接収委員長代理となり、後に膠澳商埠督弁公署交渉課長に転じている。まもなく実業界に転じ、畜産・鉱山事業を経営した。1936年(民国25年)3月、冀察政務委員会交通部組長として正解に復帰し、日中航空協定締結に尽力、更に恵通航空公司董事となっている〔東亜問題調査会編(1941)、195-196頁。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「姚作賓」の詳細全文を読む
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