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姚枢[ようすう]
姚枢(ようすう、1200年 - 1280年)は、モンゴル帝国配下の官僚。クビライの漢人参謀を務めた人物である。字は公茂(こうも)。甥に姚燧がいる。 == 生涯 == 金の支配下にあった華北出身の漢人で、若い頃から文学者としての声望が高かった。1233年、楊惟中の推挙を受けてモンゴル帝国に仕えるようになる。クビライに仕えるまでは政治的にあまり目立ったような功績は無く、金や南宋における文学者の保護を行なっている。1241年には一時的に失脚していることから、オゴデイ没後に漢人排斥を行なったグユクやモンケらに追われたと見ることができる。 モンケの即位後、クビライが次第に頭角を現すと、そのチェルビ(側近)となった。そして大理攻略戦や南宋遠征などに従軍し、参謀として多くの献策を行なっている。モンケの没後はクビライの擁立に尽力し、モンゴル帝国を中国化の王朝にするため、既得権力者の廃止や州県制度の設立など、元朝設立に大きな功績を挙げた。 1268年から南宋に対する大規模な遠征が始まると、クビライに適切な献策を行なっている。また日本遠征や陳朝遠征などでも的確な献策を行ない、クビライ配下の漢人ブレーンの中でも最も厚い信任を受けた。 1280年に死去。享年81。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「姚枢」の詳細全文を読む
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