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姜宇奎[かん うぎゅ]
姜宇奎(カン・ウギュ、1855年4月20日 - 1920年11月29日)は朝鮮末期の教育者であり漢方医、独立運動家。号は日愚、字は燦九、本貫は晋州姜氏。 平安北道徳川生まれ。1884年咸鏡南道に移住し、漢方医学を学んで漢方医院を経営しながら子供に漢文を教えた。1911年、乙巳条約締結を見ると、満州北間島に亡命して他の独立運動勢力と連係し、4年後遼河に移って独立運動を謀議した。1915年遼東饒河県に移り、ウラジオストクと往来しながら独立運動を試み、遼河周辺の農地を開墾して朝鮮人村の新興村を建設した。1917年吉林省동화(同化)県に光東中学校を建てて朝鮮人教育に尽くし、独立精神を吹聴した。 その後光東中学校と新興村を他の朝鮮人に譲り、朝鮮に潜入する。1919年3・1運動が起きると、加入していたウラジオストク新韓村老人団の吉林省支部長となり、朝鮮総督暗殺を決意した。同年ロシア人から手榴弾を購入し、許蘅と共に元山府を経て京城府に潜入した。1919年9月2日長谷川好道の後任に斎藤実が朝鮮総督任命されたことを知り、斎藤の来朝当日現在のソウル駅である南大門駅で斎藤総督を暗殺するために爆弾を投げた。しかし斎藤は殆ど被害をこうむらず、爆発によって護衛の日本人警察をはじめとする死傷者37人を出した。〔警官以外にも、被害者の中にはニューヨーク市長の娘なども含まれる〕姜は現場から逃走し呉泰泳の紹介で張翊奎・林昇華などの家に隠れたが、高等係刑事の金泰錫によって逮捕され9月17日に収監された。裁判の後、1920年11月29日西大門刑務所で絞首刑が執行された。 == 評価 ==
*1962年、大韓民国政府により建国勲章大韓民国章が叙勲され、ソウル駅前に銅像が建立された。 *事件当時、一報を聞いた尹致昊はこのような感想を残している。「エイヴィソン博士の話によれば、何という間抜けが斎藤総督に爆弾を投げたが彼を外れた爆弾により数名の野次馬が負傷したという。私はこの話を聞いて愕然とした。実に哀痛なことだ。朝鮮人は伊藤博文の暗殺が韓日併合を促進したことを忘れたというのか。馬鹿共めが。」〔『尹致昊日記:1916-1943』キム・サンテ訳編 歴史批評社 2001年 133頁〕
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「姜宇奎」の詳細全文を読む
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