|
姜 桂題(きょう けいだい)は、清末民初の軍人。清朝、北京政府、安徽派に属した北洋系の軍人。民国初期の長期にわたり熱河都統を務めた。字は翰卿。 == 事跡 == === 清代の活動 === 少年時代に清朝のセンゲリンチン(僧格林沁)率いる軍に加入する。太平天国軍、捻軍との戦いで軍功をあげて、1863年(同治2年)に、管帯に昇格した。その後、毅軍を率いる宋慶配下に転じる。やはり捻軍や回族との戦いで軍功をあげ、総兵に昇進した。 1883年(光緒9年)、毅軍の一員として旅順を守備した。しかし、1894年(光緒20年)の日清戦争では、上陸した日本軍と戦おうとせず、旅順を放棄して退却した。そのため軍職から罷免されてしまう。 1895年(光緒21年)、姜桂題は袁世凱により再起用され、新建陸軍の編制に従事した。翌年には、右翼軍長に任命されている。1899年(光緒25年)に袁世凱が署理山東巡撫となると、姜も山東省に駐屯した。1900年(光緒26年)の義和団の乱では、姜は義和団を討伐し、西太后、光緒帝を北京に迎え入れる上で貢献した。 1902年(光緒28年)に宋慶が死去すると、毅軍は姜桂題の指揮下に属した。1905年(光緒31年)に弁理長江防務、1908年(光緒34年)に武衛左軍総統官、1910年(宣統2年)に直隷提督兼統武衛左軍と歴任した。1911年(宣統3年)の辛亥革命時に、姜は他の北洋系軍人たちとともに宣統帝に退位を迫る電報に名を列ねた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「姜桂題」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|