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婁圭[ろう けい]
婁 圭(ろう けい、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将、政治家。字は子伯。荊州南陽郡の人。曹操配下の将。 == 事跡 == 初平年間に、荊州北境に衆を集め、群雄の一人として割拠していた。劉表と連合し、食料を求め襲撃してきた張済を討ち取るが、婁圭の下風に立つ事を望まない王忠に撃ち破られてしまう。その後、婁圭は劉表の元を離れ曹操配下となった。 曹操は婁圭を大将としたものの、軍を統率させず、会議で常に議論させた。河北平定後は、曹操に随行して冀州に滞在する。ある時、曹操が子供たちを連れて外出した際に、婁圭もこれに随従したが、婁圭は左右に向かって「この家(曹氏)の父子は、今日の様な楽しみを味わった事があるのだろうか」〔原文「此家父子、如今日為楽也」。反語的に訳して「いや、なかっただろう」という意味と思われる。〕と言った。これをある者から聞いた曹操は、この言を自分に対する誹謗と判断し、後に婁圭を処刑してしまった。 なお、『三国志』魏書「武帝紀」注『曹瞞伝』は以下のような逸話を載せている。建安16年(211年)、曹操が渭水で馬超と戦った際に、地質の悪さから塞を築くことができなかった。婁圭は「今は気候が寒い時であり、水をかければ一晩で塞ができる」と進言し、曹操はこれに従って塞を築いたとされる。しかし、実際には時期は閏8月であり、裴松之も事実の筈がないと否定している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「婁圭」の詳細全文を読む
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