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株式会社婦人生活社(ふじんせいかつしゃ)は、かつて存在した日本の出版社である〔''婦人生活社''、国立国会図書館、2012年6月25日閲覧。〕〔''婦人生活社''、公式ウェブサイト、インターネットアーカイブ、2002年11月30日、2012年6月25日閲覧。〕〔婦人生活社が自己破産へ 、47NEWS, 2003年1月15日付、2012年6月25日閲覧。〕〔婦人生活社が自己破産を申請 負債総額28億円 、アサヒ・コム、2003年1月21日付、インターネットアーカイブ、2012年6月25日閲覧。〕。月刊婦人誌『婦人生活』の編集・発行元であり、「ガーデニング」を流行させた雑誌『私の部屋ビズ』の発行元〔雑誌「ビズ」編集長 八木波奈子さん 、朝日求人ウェブ、2012年6月25日閲覧。〕、「公園デビュー」を命名した雑誌『プチタンファン』の編集・発行元としても知られる〔。 == 略歴・概要 == === 創立から私の部屋まで === 1947年(昭和22年)2月1日、講談社出身で元『講談倶楽部』編集長の原田常治が「株式会社同志社」として設立する〔。同年5月、月刊婦人誌『婦人生活』を創刊する〔婦人生活 、国立国会図書館、2012年6月25日閲覧。〕。同誌は、創刊から5年の1952年(昭和27年)には、『主婦の友』『主婦と生活』『婦人倶楽部』と並ぶ「戦後四大婦人雑誌」と呼ばれ、発行部数も50万部を超えた。この勢いから、原田は、その出身である講談社創業者・野間清治と比較された〔『週刊サンケイ』第1巻第42号、p.17.〕。ジャーナリズムの思惑はともあれ、「戦後四大婦人雑誌」の時代は以降40年つづくことになり、その礎となった〔女性雑誌『VERY』にみる幸福な専業主婦像 、石崎裕子、国立女性教育会館、2012年6月26日閲覧。〕。1957年(昭和32年)5月、監修に田中千代を迎え、『服装』を創刊する〔服装 、国立情報学研究所、2012年6月25日閲覧。〕。 1963年(昭和38年)8月、社名を「株式会社婦人生活社」と改称する〔。 1969年(昭和44年)10月1日、関連会社として「株式会社婦人生活事業部」(現在の株式会社クックアンドライフ社)〔株式会社ティー・ワイ・オー 2005年10月01日 - 2006年09月30日期 、有報リーダー、2012年6月26日閲覧。〕を設立する〔クックアンドライフ社のご案内 、クックアンドライフ社、2012年6月26日閲覧。〕。同年、雑誌『ベビーエイジ』を創刊する〔ベビーエイジ 、国立国会図書館、2012年6月25日閲覧。〕。1972年(昭和47年)1月、『私の部屋』を創刊する〔私の部屋の歴史 、私の部屋リビング、2012年6月25日閲覧。〕。1973年(昭和48年)4月、創立者・原田常治が勲四等瑞宝章を受章する。同年5月23日、前年末から『私の部屋』と連動した店舗展開を開始した生活雑貨店「私の部屋」が株式会社化、「株式会社私の部屋」(現在の私の部屋リビング)が設立される〔。1974年(昭和49年)3月、同月発行の『服装』第18巻第3号をもって、同誌の発行を田中千代学園に譲渡する〔。 1975年(昭和50年)、雑誌『セサミ』を創刊する〔セサミ 、国立国会図書館、2012年6月25日閲覧。〕。 1977年(昭和52年)8月23日、創立者・原田常治が満74歳で死去する〔合祀者名簿 、日本出版クラブ、2012年6月27日閲覧。〕。当時満46歳の原田稔が二代目社長に就任する〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「婦人生活社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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