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子内親王(びしないしんのう、長保2年12月15日(1001年1月12日) - 寛弘5年5月25日(1008年6月30日))は第66代一条天皇の第二皇女。母は皇后・藤原定子。同母姉兄に脩子内親王、敦康親王がいる。 生まれた翌日に母が亡くなり、その後藤原詮子(東三条院)の養女となった(1002年に亡くなった、定子の妹である御匣殿のもとで姉兄と共に育てられたとも)。 寛弘五年(1008年)4月には病のため人事不省に陥るが文慶阿闍梨の修法により一時回復し、喜んだ天皇は文慶を権律師に任じた。しかし5月25日には再び容態が悪化し9歳で亡くなった。 『栄花物語』には子内親王が亡くなったとき一条天皇が悲嘆にくれる様子や脩子内親王が妹宮を恋しがる様子などが描かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「媄子内親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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