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嫁威谷(よめおどしだに)は、越前国吉崎御坊(現在の福井県あわら市吉崎)近くの嫁威谷(同あわら市嫁威)に伝わる伝説である。 文明3年、蓮如が北国すじの勧化のために越前国吉崎道場において、朝夕、化導したとき、加賀、能登、越中、越後、信濃、出羽、奥羽の信者が説教を聴聞するために群衆した。 そのなかで、越前国二袴の百姓与惣治夫婦はひとえに蓮如上人の高徳をしたい、教化によって即得往生の果を得ようとひまを盗んで吉崎に通った。 これをみて、与惣治の母は、無信心から、明け暮れの後世願いにかよいつめることは稼業の妨げであるとして、慳貪、邪見の心から、吉崎通いをやめさせようと考えた。 文明4年2月20日の夜、与惣治は他出で、嫁ひとりが参聴した帰途、今日こそ時節到来と、母は、ひそかに氏神奉納の面を盗みだし、白い帷子(かたびら)をまとい、鬼神をまねて威(おど)そうと、竹薮に身を潜ませて待つことも知らず、嫁は称名しながら来かかったところに、鬼形の母は現れて呼び止め、「汝、母の意に逆らひ、吉崎参りする不孝の罪、遁るべからず、われは白山権現の使であるが、今日より母の言葉に従ひ、改心せざればゆるさじ」と威し、母は薮の中から出ようとしたとき、荊に引かれて引けども離れず、嫁はまた顧みもせずに逃げ帰った。 母は怒り、日頃たくらんだことの失敗を残念がりつつ、かぶった面をとろうとしたが、顔にひきつき、どうしてもとれず、嫁は我が家に逃げ帰り、帰宅した夫に次第を語り、また母の不在を心配して訪ねに出て鬼形の母にあった。 母は我が子に呼びかけ、たくらんだ恥を泣き叫んだ。 与惣治は懺悔はその罪を滅すと聞いている。 このうえは吉崎御坊に上人をたずね、御化導にあいなされとすすめて、御坊を訪ね、上人の前にひざまづいて教化をうけたところ、母は先非を悔いて懺悔した。 すると肉まで付着したとおもわれた鬼女の面はたちまち落ち離れたという。 そのときの面というものが西念寺に伝わる。 == 外部リンク == * 吉崎の嫁おどし(肉附面)の伝承 : 蓮如伝説の一断面 金沢大学学術情報リポジトリ * 嫁威谷物語 : 蓮如上人御教化 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嫁威谷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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