翻訳と辞書
Words near each other
・ 存分に
・ 存否
・ 存命
・ 存命中
・ 存命人物
・ 存命人物の伝記
・ 存在
・ 存在 (秋吉契里のアルバム)
・ 存在と時間
・ 存在と無
存在と非存在を超えて
・ 存在の深き眠り
・ 存在の耐えられない軽さ
・ 存在の耐えられない軽さ (映画)
・ 存在の証明
・ 存在の謎
・ 存在は本質に先行する
・ 存在グラフ
・ 存在価値
・ 存在動詞


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

存在と非存在を超えて : ウィキペディア日本語版
主体と客体[しゅたいときゃくたい]
主体と客体(しゅたいときゃくたい、)は、この世界の様態を捉えるために広く用いられる、基本的な枠組みのひとつである。世界を構成するものとして、「見るもの、知るもの(主体)」と「見られるもの、知られるもの(客体)」の2種類の存在を認める。
*客体とは感覚を通して知ることができるものであり、いわゆるである。
*主体とは感覚を受け取るものであり、意識である。
この枠組みを肯定し、主体と客体はいずれか一方を他方に解消することができないと考える哲学的な立場を主客二元論と呼ぶ。これに対し、全ては物質的な存在やそれらが引き起こす出来事であるとする立場は唯物論と呼ばれる。また、全てが意識の産物であって、外界や物質的存在があることを認めない、あるいは強く疑う立場は独我論、唯我論などと呼ばれる。ヴェーダの宗教などでは、主体と客体の分離が消失する場合があるとし、それを重視する考え方もある。「主客一体」「梵我一如」などと呼ばれる。いずれの立場も、他の2者を意識しつつ構築されることが多く、主体と客体という分類枠組みは、肯定されるにせよ否定されるにせよ、ある程度理解、共有されている。(しかし仏教、特に中観派においては、主体と客体というような二項対立的な見方を謬見として徹底的に斥ける。この延長線上で実践したのが中国唐代のであり、彼らの目標は「主と客」という意識(念)の起きる以前の意識の探求であった。またヨーロッパにおける脱近代の思潮にもこのような見方があることも特筆しなければならない。)
主体と客体は、このように世界のありさまを捉えるための枠組みだが、同様の、密接に関連した区別が人間のありさまを捉えるためにしばしば用いられる。意識や心と身体との区別である。哲学的には、両者の区別を肯定、前提する立場は心身二元論と呼ばれる。両者の間の因果関係、つまり自由意志の問題は、英語圏の哲学では特に心身問題と呼ばれる。
また、これらとよく似た、関連の深い区別が、認識論の領域においても存在している。すなわち、主観と客観の区別である。
科学的な研究は、通常、物質的な存在、事象の観察と理論化を通じて行われる。社会科学でも、そのような経験主義的アプローチをとる学問は多い。直接観察できない事象については言及、仮構を控える行動主義のような立場もある。こうした認識論的な態度を一般に客観主義と呼ぶ。この立場の特徴は物事についての客観的な事実を確定することを研究の目標とし、またそれが可能であると考える立場である。
それに対し、内省や内観を重んじる立場もある。フッサールの現象学やその成立にも影響を与えている心理学の一部、また宗教的瞑想などは、物事の真理に到達するために観察ではなく意識や自己のあり方、理解や直観の性質を考察する。これは一見奇妙なアプローチだが、人が通常客観的な存在だと前提している物事が、よく吟味してみるとそうとは言えない、といった点を明らかにする効果などがあり、必ずしも無意味な思弁に終始するとは限らない。
また、カントのように人間は特定の形式(時間と空間)に沿ってしか現象を認識できず、ありのままの事物(物自体 Dinge an sich)を知ることは不可能である、と考えることは現代においても比較的広く受け入れられている発想である。必ずしも物事の直接的な観察に基づく研究ではない数学が現代科学で決定的な役割を果たしていることは、しばしばこれと関連づけられる。
== 語源 ==

=== subject ===
subjectum(サブジェクト)は、下に投げられたものという語構成のラテン語で、アリストテレスのヒュポケイメノン('' '' ヒュポ+ケイメノン 下に置かれたもの、基体)の直訳に由来し、属性がそこにおいて属すべき基体を意味した。
現象の属性・形質・様態は変化しうるものであるから、その同一性を担うものではあり得ない、という分析から、それらの特性を皿やお盆や机のように上に載せている下に置かれたものがあって、載せられたものは変化するが載せているものは不変である、という発想が生じ、こうして現象(の同一性)の基盤であって、それ自体は現象としては現れない、実体という概念が立てられた。なお、この発想は主語と述語、という印欧語に特徴的な文法構造にも影響されている。
デカルトの懐疑論的な、現象主義の枠組みにおいては、認識の向こう側に存在する外在的な実体というものが方法論的に疑われた。かわりに、いわば認識の手前に位置するコギト(思惟する我)こそが、現象や観念(idea)の基体(subject)、すなわちその同一性を担う、存立基盤であると見なされた。こうして、彼以降、subjectには主観という意味が発生した。この傾向はカントにおいてよりはっきりと顕著になる。
ヘーゲルにおいては、このsubjectが認識論的なだけでなく実践的な対立矛盾の相において把握されることになり(言語哲学的な表現をすれば文の主語から発話の主語へと移行し)、この意味合いではとくに主体という訳語を受け取ることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「主体と客体」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Subject (philosophy) 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.