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郭皇后(かくこうごう、? - 1614年)は、明の泰昌帝の正室。泰昌帝の即位前に死去し、後に孝元貞皇后(こうげんていこうごう)と諡された。 == 経歴 == 順天府(北京)の庶民であった郭維城の娘として生まれた。容姿ふるまいが美しく、万暦26年(1598年)に選ばれて後宮に入った。万暦29年(1601年)、太子朱常洛(のちの泰昌帝)にとつぎ、太子妃となった。万暦41年12月(1614年)、薨去した。恭靖と諡された。 泰昌帝が即位すると、孝元皇后と改諡された。また、郭氏の弟・郭振明が一品都督同知に任じられた。天啓年間に孝元昭懿哲恵荘仁合天弼聖貞皇后と追諡され、郭振明は侯爵(博平侯)に進んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孝元郭皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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