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孝和太后(こうわたいごう、? - 1619年)は、明の泰昌帝の皇太子時代の側室で、天啓帝の母。姓は王氏。 == 生涯 == 順天府の庶民であった王鉞の娘として生まれた。万暦年間、太子朱常洛(のちの泰昌帝)の邸に入り、選侍(皇子の側室)となった。万暦33年(1605年)、朱由校(のちの天啓帝)を産んで、才人(皇子の妾妻)となった。万暦47年(1619年)3月、薨去した。太子妃(太子の正室)の礼で葬られた。 天啓帝が即位すると、皇太后の号を追贈された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孝和太后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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