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庵戸宮[いおりとみや]
庵戸宮(廬戸宮)(いおとのみや)は、『古事記』『日本書紀』に伝わる古代日本(大和政権初期)の首都として営まれた皇宮(皇居)。 == 経緯 == 第6代孝安天皇暦102年(紀元前291年)に、第7代孝霊天皇により現在の奈良県磯城郡田原本町黒田周辺の地に遷都されたと伝えられる。そのため、黒田庵戸宮ともいわれる。ただし、正確な所在地については諸説ある(奈良県史料『大和志料』によると黒田ではなく同町字宮古であるとか、「いおと」という読みから同字伊与戸に置かれたとする説がある)。いずれにしても、孝霊天皇以前の皇宮の多くが奈良県山間部に置かれたと伝わるのに対して、奈良県中央に位置する大和盆地に遷都されたことで、大和国から河内国への進出、吉備国平定など黎明期の大和政権の支配域拡大につながったものとみられている。 孝霊天皇暦76年(紀元前215年)2月に同天皇が崩御し、第8代孝元天皇により軽境原宮(かるのさかいはらのみや、現在の奈良県橿原市見瀬町周辺と伝えられる)に遷都されるまでの間、政権の中枢として機能したとみられる(一方で、この時期は第9代開化天皇までのいわゆる欠史八代の期間にあたり、そもそも『古事記』『日本書紀』自体の信頼性を疑う見方も根強く存在する)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「庵戸宮」の詳細全文を読む
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