翻訳と辞書 |
孫震[そん しん]
孫 震(そん しん)は、中華民国の軍人。川軍(四川軍)の軍人で、後に国民革命軍の有力な指揮官となった人物である。譜名は定懋。後に懋と改名し、さらに震と改名した。字は徳操。 == 事跡 ==
=== 革命派としての活動 === 儒家の家庭に生まれたが、経済的には困窮していた。孫震は初め学問を志し、1904年(光緒30年)に成都学堂甲班に入学した。1906年(光緒32年)、軍人の道に転じて、成都陸軍小学第2期に入学した。その3年後に卒業し、西安陸軍中学に転入する。このとき、革命思想に触れ、中国同盟会にも加入した。辛亥革命が勃発すると、西安で四川革命軍を組織し、さらに武漢へ向かった。 1912年(民国元年)8月、保定陸軍軍官学校に入学した。翌年、二次革命(第二革命)が勃発すると、孫震は上海に向かい、革命派として参戦したが、革命派は敗北した。8月、漢口へ向かったところ、四川軍の革命派である熊克武・楊庶堪と知り合い、共に四川省に戻ってやはり革命派として戦ったが、これも敗北した。そのため、しばらく孫震は雌伏を強いられる。 1914年(民国3年)、孫震は、劉存厚率いる四川軍第2師に加入し、翌年12月の護国戦争(第三革命)で劉が護国軍として蜂起すると、孫震もこれに追随し、勇戦した。以後、孫震は劉率いる四川軍の勇将として台頭していく。1920年(民国9年)8月、孫震は「靖川軍」第1路司令に任命され、成都攻略と滇軍(雲南軍)掃討に貢献した。これにより第21師第41旅旅長に昇格している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孫震」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|