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宇宙からのメッセージ : ウィキペディア日本語版
宇宙からのメッセージ[うちゅうからのめっせーじ]

宇宙からのメッセージ』(うちゅうからのメッセージ、''Message from Space'')は、1978年日本映画。1980年度・サターン賞の最優秀外国映画賞ノミネート作品。カラー・ワイド・ビスタ・サイズ
== 概要 ==
南総里見八犬伝(里見八犬伝)をモチーフにした和製スペースオペラ映画。当時の東映では1976年頃に、渡邊亮徳平山亨石森章太郎矢島信男佐藤肇高久進などのスタッフを招集して『デビル・マンタ』という怪獣映画を東映東京撮影所で企画中だったが、1977年夏にアメリカで『スター・ウォーズ』が大ヒットしており、翌年夏の日本公開を控えてSFブームに沸いていた。日本の映画会社も、『スター・ウォーズ』が公開される前にこれにあやかろうと、東宝は1978年の正月映画として『惑星大戦争』を製作。東映でも、それまで企画中だった『デビル・マンタ』を却下することで、1978年のゴールデンウィーク映画として本作の制作が決定〔DVD『海底大戦争東映ビデオ DSTD02368、解説書収録の矢島信男インタビューより〕。平山と親交が深かった伊上勝が『惑星大要塞』の題名で脚本を執筆するが、『デビル・マンタ』の佐藤肇に代わって参加した深作欣二が、その内容に不満を示したので伊上の脚本は没になる。その深作からの推薦もあって『ジャイアントロボ』や『柳生一族の陰謀』の脚本を執筆した松田寛夫が伊上と交代する形で参加し、撮影は東映東京撮影所から東映京都撮影所へ変更された。
総製作費15億円のうち4億円を特撮にかけたと宣伝され、1978年の年明けに全国紙の全面広告にて、英語タイトルが「Message from Space」と決まっている本作の日本語タイトルの一般公募を行った。賞金総額は500万円とされた。撮影現場におけるシュノーケル・カメラや、制作当時最新のキネコ技術であった東通ecgシステムの多用も、後の『宇宙刑事ギャバン』などの東映作品などに多大な影響を与えていた。また、本家『スター・ウォーズ』のスタッフも、撮影現場に見学で訪れており、本作は『スター・ウォーズ』の模倣企画であるはずが、敵の要塞内部のトンネルを通過するシーンは、後の『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』(1983年)に似たようなシーンが登場した〔。
『スター・ウォーズ』は黒澤明監督の時代劇『隠し砦の三悪人』がモチーフであるが、それに対して本作は深作の発案により『里見八犬伝』をモチーフにしている。この時期、『スター・ウォーズ』のヒットが引き金になり世界的にスペースオペラ映画がブームであり、ロジャー・コーマンも、黒澤明の『七人の侍』と、そのリメイクの『荒野の七人』をモチーフにしたスペースオペラ映画『宇宙の7人』を製作している。
本作にはフリーの特撮美術スタッフが数多く参加しており、そのため同時期に制作が始まった円谷プロダクションの『スターウルフ』では人材不足に陥っていた。
アメリカでのパニック映画のヒットにあやかる形で企画された『新幹線大爆破』同様、この作品も東映社長・岡田茂(当時)の発案によるアメリカ映画のヒットをうけた「便乗企画」ではある。
一部文献によると、「洋画のあれ、面白かったから焼き直せ」それが当時の岡田の口癖だったという〔。1977年に『スター・ウォーズ』がアメリカで歴史的ヒットを遂げて、翌1978年夏に日本で公開されるまでには一年のブランクがあることを知った岡田は「『スター・ウォーズ』が日本で公開される前に行きがけの駄賃で稼ぐぞ」と深作に企画を押し付けた〔。殺陣師・菅原俊夫と深作の間で「おい菅ちん、今度は宇宙やるぞ」「どないしまんねん」「宇宙でチャンバラする」「そんなん撮る時間あらへんわ」「大丈夫。そこらにある槍にグリーン塗ってチャンバラすればええ」などというやりとりがなされた〔。この時期の岡田の企画は万事この調子で失敗を重ねた〔。『エクソシスト』や『オーメン』といったオカルト映画がブームになれば「ええ企画思いついた。『地獄』やれ」。『ジョーズ』の大ヒットで動物パニック映画が流行れば「『恐竜・怪鳥の伝説』なんて題名。おもろいやろ。やれ」であった〔。現場も社長企画は断ることはできなかった。
しかし、岡田は著書で『宇宙からのメッセージ』の製作にゴーサインを出したのは「渡邊クン(渡邊亮徳)が東北新社の植村伴次郎さんを巻き込んで、東映が手がけたことのないジャンルに挑戦したい」「(渡邊の)テリトリーとするテレビやマーチャンからの収入、それと海外で必ず売れます。売ります」というから、その情熱を買って、新境地開拓の意味もあって製作を決断したと書いている〔『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年、107、108頁〕。
20世紀フォックス映画日本支社宣伝部の古澤利夫は「笠原和夫と深作欣二が日本共産党の映画を作ろうと企画を進めていて、この中に亀戸事件が含まれていてヤバいと、これを撮らさないように岡田社長が深作に本作を撮らせた」と話している〔『映画秘宝洋泉社、2014年6月号、69頁〕。とはいえ、本作も「圧政に立ち向かう市民」という反体制的な要素をもったレジスタンスのストーリーであった。
岡田は宣伝費に2億5千万円をかけたが配収は6億円、子供相手の域を抜け出せなかったという結果に終わったが、特撮があることで海外で高く売り込むのに効果があり、海外収入などもろもろをかき集めてトントンになった、などと話している〔。平山亨は「前の晩から映画館に人が並んで、東映本社の8階の窓から行列が見えて、岡田社長が大喜びして『食いたいだけ食え』と高級寿司を御馳走になったが、初日から2~3日はよかったが後が続かず、赤字になったと思う」「結局、岡田社長に御馳走になったのはこれ1回きり」と話している〔平山亨『泣き虫プロデューサーの遺言状 ~TVヒーローと歩んだ50年~』、講談社、2012年、232頁〕。
また、アメリカ合衆国では1978年11月に日本映画として初めてメジャーの配給ルートにのって全米各地で封切られた〔『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』121頁〕。配給はユナイテッド・アーティスツで、『スタークラッシュ』とのカップリング上映も行われた。メディアミックス展開もされた。原案に名を連ねた漫画家石森章太郎コミカライズを担当。単行本は小学館より発売。同じく原案スタッフだった野田昌宏は、SF作家としてノベライゼーションしており、角川書店から出版されている。この映画がテレビ放映された際に小松左京から「日本SF作家クラブから除名するぞ」と脅されたと、野田本人が自著のあとがきなどに(楽しげに)書き記している。「ガバナス皇帝が異次元から来た」設定は、続編となるテレビドラマ宇宙からのメッセージ・銀河大戦』に先駆ける。ニッポン放送は、1978年4月24日から5月2日にかけて『キリンラジオ劇場』内でラジオドラマを放送した。同時期に東宝は1978年の正月映画として『惑星大戦争』を製作している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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