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宇文 肱(うぶん こう、? - 526年)は、北魏末の軍人。宇文泰の父。北周の徳皇帝と追尊された。本貫は代郡武川県。 == 経歴 == 宇文韜の子として生まれ、兄弟に宇文阿頭(虞国公・宇文興の祖父)がいた。524年、沃野鎮で破六汗抜陵が北魏にそむいて乱を起こし、衛可孤が武川鎮を落とすと、宇文肱は郷里の人々を糾合して衛可孤を斬った。後に戦乱を避けて中山に移ったが、鮮于修礼の虜となった。鮮于修礼は宇文肱の部下を返して一軍を率いさせた。後に定州で敗れて戦没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇文肱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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