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宇文部[うぶん ぶ]
宇文 部(うぶん ぶ、)は、匈奴系鮮卑の一部族で、宇文莫圭のときに強盛となった。南北朝時代にはその子孫が北周を建てた。 == 起源 == 宇文部の出自は、黄帝に滅ぼされ朔野に移り住んだ神農氏の子孫で、葛烏菟という者が最初に大人(たいじん:部族長)となったのが始まりとされる。部族名の由来は、葛烏菟の次に大人となった普回が、狩りの途中で「三紐の玉璽」を拾った際、これを天授だと思い、「天を謂いて宇と曰く、君を謂いて文と曰く」とし、国号と氏を宇文としたという。〈『周書』帝紀第一〉 また、『資治通鑑』巻八十一太康六年注引『何氏姓苑』において、「宇文氏は炎帝の出自であり、炎帝が草の効能を試したため、で草をいう『俟汾(しふん、)』から、俟汾氏と名乗り、その後訛って『宇文氏』となった」とある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇文部」の詳細全文を読む
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