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宇治山田空襲[うじやまだくうしゅう]
宇治山田空襲(うじやまだくうしゅう)は、第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)にアメリカ軍により行われた三重県宇治山田市(現・伊勢市)への空襲(戦略爆撃)のことである。当時「神都」と称され、国家的重要都市であった宇治山田を攻撃することで日本人の戦意を低下させる意図があったと言われている。1月14日の伊勢神宮豊受大神宮(外宮)への爆弾投下を皮切りに6度の大規模な攻撃を受け、市街地の5割を焼失した。 == 概要 == 志摩半島はB-29にとって潮岬や御前崎と並んで格好の目標物であったため、B-29は志摩半島の付け根にあたる宇治山田市の上空を頻繁に通過した〔日本の空襲編集委員会 編(1980):202ページ〕。宇治山田市は外洋にもほど近かったため、艦載機の攻撃も受けやすい都市であった〔。宮後町の木原紋次郎の記録によれば、1944年(昭和19年)6月から1945年(昭和20年)8月16日までに警戒警報が501回、空襲警報は99回発令されたという〔。 空襲による死者は101人、負傷者は240人で、4,928戸が全半焼、22戸が全半壊したとされる〔稲本ほか(2000):285ページ〕。稲本紀昭ほか『三重県の歴史』によれば、この被害の規模は三重県内で空襲を受けた津市や四日市市、桑名市と比較すると小さかったが、空襲のあった日数はこれらの都市よりも多かった〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇治山田空襲」の詳細全文を読む
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