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宇治川の合戦 : ウィキペディア日本語版
宇治川の戦い[うじがわのたたかい]

宇治川の戦い(うじがわのたたかい)は、平安時代末期の寿永3年(1184年)1月に源義仲鎌倉源頼朝から派遣された源範頼源義経とで戦われた合戦治承・寿永の乱の戦いの一つ。
== 背景 ==
寿永2年(1183年)7月、信濃国平家打倒の挙兵をした源義仲が数万騎を率いて入洛した。義仲軍はで乱暴狼藉を働き、やがて皇位継承を巡って後白河法皇とも対立した。9月、義仲軍は備中国水島の戦いで平家軍に大敗、後白河法皇は義仲を見放した。10月、後白河法皇は鎌倉の源頼朝に東海道東山道の支配を認める院宣を下し、頼朝に接近する(寿永二年十月宣旨)。
11月、起死回生をはかった義仲は院御所の法住寺殿を攻撃、後白河法皇を幽閉して政権を掌握した(法住寺合戦)。孤立を深める義仲は平家との和平を打診するが、拒絶される。12月、義仲は後白河法皇に強要して頼朝追討の院宣を発出させる。そして翌寿永3年(1184年)1月、義仲は征東大将軍に任命された。1月20日、頼朝は近江にまで進出させていた範頼、義経に義仲追討を命じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宇治川の戦い」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Uji (1184) 」があります。



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