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宇田 東植(うだ とうしょく、1948年8月23日 - )は、東京都杉並区出身〔『12球団全選手カラー百科名鑑2000』(『ホームラン』2000年3月号増刊。日本スポーツ出版社発行)掲載の解説者名鑑を参照。〕の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ、野球解説者。在日韓国人で、韓国名は朱 東植(チュ・ドンシク、주동식)。 == 来歴・人物 == 拓殖大学第一高校時代の1964年、夏の甲子園東京都予選3回戦でノーヒットノーランを達成。その後は中央大学へ進学し、東都大学リーグで通算35試合に登板。9勝3敗を挙げる。本田技研を経て、1971年のドラフト4位指名で東映フライヤーズに入団。デビュー当初から主に敗戦処理が中心だったが、イースタン・リーグ(二軍)では1972年に最優秀防御率のタイトルを獲得。 にはフォームを改造。先発投手として39試合に登板し、規定投球回もクリア。防御率3.47・9勝3敗の成績を残し、リーグ7位に入った。1981年の日本シリーズでは、第4戦で4番手に登板している。 1月、榊原良行との交換トレードで阪神タイガースに移籍。中継ぎとして29試合に登板したが、1年限りで退団。 、韓国プロ野球(KBO)のヘテ・タイガースに移籍。その年は30試合登板、7勝7敗3セーブを挙げて韓国シリーズ優勝に貢献した。に現役引退。 アンダースローで、スローカーブが武器。スローカーブ以外の球種にシュートも持っていた。 引退後、1989年から2001年まで東京ケーブルネットワーク制作の日本ハム戦中継でレギュラー解説者を務め、からまでは古巣・起亜タイガースで投手コーチを務めた。退団後、イ・スンヨプら日本でプレーする韓国人選手の良き相談相手でもあった。 カラオケでは小林旭を歌う。 2012年、営業禁止地域となっている東京都豊島区北大塚2丁目の雑居ビルで個室マッサージ店を営業したとして、風俗営業法違反の疑いで同店の店長とともに逮捕されていたことが11月9日に明らかとなった。宇田は「以前はオーナーだったが、今は人に譲った」と容疑を否認している〔元プロ野球投手、風営法違反容疑 「譲った店」と否認 - 朝日新聞デジタル 2012年11月9日〕〔元日本ハム投手:風営法違反容疑で逮捕 禁止地域で経営 - 毎日.jp 2012年11月9日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇田東植」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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