翻訳と辞書
Words near each other
・ 宇都宮地裁
・ 宇都宮地裁大田原支部
・ 宇都宮地裁栃木支部
・ 宇都宮地裁真岡支部
・ 宇都宮地裁足利支部
・ 宇都宮城
・ 宇都宮城の戦い
・ 宇都宮城址公園
・ 宇都宮城釣天井事件
・ 宇都宮基師
宇都宮基綱
・ 宇都宮壮十郎
・ 宇都宮大仏
・ 宇都宮大学
・ 宇都宮大学の人物一覧
・ 宇都宮大学教育学部附属中学校
・ 宇都宮大学教育学部附属小学校
・ 宇都宮大学教育学部附属幼稚園
・ 宇都宮大学教育学部附属特別支援学校
・ 宇都宮大明神


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

宇都宮基綱 : ウィキペディア日本語版
宇都宮基綱[うつのみや もとつな]
宇都宮 基綱(うつのみや もとつな、正平5年/観応元年(1350年) - 天授6年/康暦2年5月16日1380年6月19日))は室町時代中期の武将で、下野国宇都宮氏第11代当主。第10代当主宇都宮氏綱の子。弟に宇都宮氏広。妻は細川頼元の娘で、その間の子として第12代当主宇都宮満綱がいる。下野守。
== 生涯 ==
父が仕えていた初代鎌倉公方足利基氏から偏諱を賜り〔江田郁夫 「総論 下野宇都宮氏」(所収:江田郁夫 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第四巻 下野宇都宮氏』(戎光祥出版、2011年)P.13)。この一字拝領は鎌倉公方との良好な関係、および公方から相応の家格を認められていたことの徴証と捉えることができる(江田、同前)。〕、基綱と名乗る。しかし、のちに父は上野越後両国の守護職をめぐる問題で基氏と対立、討伐を受けて職を剥奪された(1362年)。基氏の死後もその子・足利氏満(第2代鎌倉公方)と対立して反乱を起こすがその追討を受けて降伏(1368年)、子である基綱・氏広兄弟も含め、以後は氏満に臣従するようになる。それからまもない1370年に父が病没し、これを受けて家督を継いだ。
宇都宮氏は朝廷から代々下野国司の職を授かる身分であったが、武士から身を立て下野守護を務めていた小山氏が国内で勢力を拡大する動きを見せると、国司の立場からこれを牽制してきた。小山義政の代になり、小山氏が台頭する動きをするようになると、基綱は度々これを鎮圧した。しかし、後に義政が宮方と通じ謀反を起こしたとして氏満にその討伐を命じられ出陣したが、逆に裳原の戦いで義政に敗れ戦死した。享年31。これが小山義政の乱および、その後に弟の氏広が起こす栗原郡三迫の戦いの発端となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宇都宮基綱」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.