翻訳と辞書
Words near each other
・ 宇都宮正房
・ 宇都宮正綱
・ 宇都宮武綱
・ 宇都宮毒入りジュース事件
・ 宇都宮氏
・ 宇都宮氏広
・ 宇都宮氏綱
・ 宇都宮民
・ 宇都宮民のビューティフルモーニング
・ 宇都宮泰宗
宇都宮泰綱
・ 宇都宮海星女子学院中学校
・ 宇都宮海星女子学院中学校・高等学校
・ 宇都宮海星女子学院高等学校
・ 宇都宮清原中央公園
・ 宇都宮清原北公園
・ 宇都宮清原南公園
・ 宇都宮清原工業団地
・ 宇都宮清原球場
・ 宇都宮清陵高校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

宇都宮泰綱 : ウィキペディア日本語版
宇都宮泰綱[うつのみや やすつな]

宇都宮 泰綱(うつのみや やすつな)は、鎌倉時代前・中期の人物。藤原姓宇都宮氏第6代当主。官位は正五位下下野守修理亮を歴任。鎌倉御家人でもあり評定衆美濃国守護に任じられた。宇都宮歌壇歌人としても著名。宇都宮頼綱の子で宇都宮景綱の父。母は北条時政の娘。
== 略歴 ==
1202年建仁2年)に生まれる。元服時に母方の従兄にあたる北条泰時より偏諱を賜って〔江田郁夫『シリーズ・中世関東武士の研究 第四巻 下野宇都宮氏』(戎光祥出版、2011年)P.9。〕泰綱と名乗る。
1238年、将軍・九条頼経に仕えて上洛し下野守に叙任された。泰綱が『吾妻鏡』に登場する1230年頃の官職の記述が従五位下相当の修理亮となっているから、下野守に任ぜられる前の1230年頃には既に従五位下の官位を余されており、その官位のまま下野守に任ぜられたものと推定される。その後1241年に下野守を満了した折には従五位上に昇進したとされる。1243年、幕府評定衆の一人に任じられた後は、没するまでその職に在り続け幕政で重きを成した。1249年頃には幕府内職位として美濃守護職も与えられている。一方、官位の方も1246年正五位下に昇進したようであるが、その後については不詳である。 1260年11月1日、父・頼綱の後を追うように59歳にて京都で死去した。
歌人としても優れており、藤原定家は修理(泰綱)の和歌は「骨を得ている」と評価(『明月記』嘉禎元年5月1日条)し、宇都宮歌壇を盛り立てた。玉葉和歌集続拾遺和歌集には泰綱の作品が数多く修められている。
吾妻鏡では、下野守を満了した後の泰綱を「下野前司」と記している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宇都宮泰綱」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.