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宇都宮遯庵 : ウィキペディア日本語版
宇都宮遯庵[うつのみや とんあん]
宇都宮 遯庵(うつのみや とんあん、寛永10年2月30日1633年4月8日) - 宝永4年10月10日1707年11月3日)、異説では1709年没)は、江戸時代儒学者。名は由的。号は遯庵の他に頑拙。また、宇都宮三近、宇都宮熊的とも呼ばれる。父は宇都宮正記。子に宇都宮圭斎
== 生涯 ==
周防国岩国で生まれる。岩国領3代領主・吉川広嘉に仕えていたが、17歳の頃、広嘉の命により京都に上って、松永尺五に師事。儒学程朱学派に属して学んだ。木下順庵安東省菴・宇都宮遯庵の3人で、尺五学派の三庵と称された。明暦3年(1657年)に帰郷して、朱子学を広めたが、延宝3年(1675年)と延宝8年(1680年)の2度にわたって著作「日本古今人物史」で、豊臣家臣・中川清秀キリスト教関係記述部分について、幕府から指摘を受け、岩国で数年間の禁錮に処された。
その後、京都に上ったが、岩国領4代領主・吉川広正の招きにより帰郷した。朱子学を教える塾を開き、多くの門弟を集め、周防吉川領での教育に従事した。また周防国徳山藩主・毛利元次に招かれて、徳山でも朱子学を広めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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