翻訳と辞書
Words near each other
・ 宇都宮軍縮研究室
・ 宇都宮農協
・ 宇都宮農林専門学校
・ 宇都宮農業協同組合
・ 宇都宮辻子
・ 宇都宮辻子幕府
・ 宇都宮連隊区
・ 宇都宮運転所
・ 宇都宮遯庵
・ 宇都宮都市圏
宇都宮金吾
・ 宇都宮鉱之進
・ 宇都宮錯乱
・ 宇都宮鎮房
・ 宇都宮鑛之進
・ 宇都宮長房
・ 宇都宮陸軍航空廠線
・ 宇都宮陸軍飛行学校
・ 宇都宮隆
・ 宇都宮隆綱


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

宇都宮金吾 : ウィキペディア日本語版
金應善[きむ うんそん]

金 應善(キム・ウンソン、1881年5月26日1932年8月2日)は、大韓帝国軍及び大日本帝国陸軍軍人
== 人物 ==
平安南道安州の出身だが、出生に関して詳しい事は判っていない。日清戦争が勃発した際、宇都宮太郎の目に留まる事となり、1896年日本へ留学した。以降は宇都宮の弟同然の扱いを受ける様になり、後に宇都宮金吾(うつのみや・きんご)という日本名を名乗る事となった。
1903年11月30日に陸軍士官学校(15期)を卒業し、近衛歩兵第1連隊見習士官として服務し、日露戦争にも参戦した。
以後、大韓帝国武官となり、陸軍武官学校学徒隊附となった。1905年には特派大使随行員として訪日した際は、日本政府から勲六等単光旭日章を授与された。
1907年大韓帝国軍が解散した時には、皇太子李垠付の陪従武官に任ぜられ、ほぼ時を同じくして、日露戦争の際の功績が認められた事から、勲五等双光旭日章及び恩賜金500円を授与され、同年11月に李垠の日本留学に随行した際は、勲四等瑞宝章を授与された。
1910年日韓併合条約が締結された際は、旧大韓帝国軍将校の中でも優等の評価を受け、朝鮮駐剳軍司令部所属となった。以降は、1920年4月26日に、勅令第118号が発せられた事により、朝鮮軍人たる陸軍副領から一般の中佐に転じ、1923年には大佐1931年4月10日には少将に進級した。
1931年に予備役に編入されて以降は、趙性根が委員長を務める“満蒙在住同胞後援会”の委員を務めたが、翌1932年に亡くなった。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「金應善」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.