翻訳と辞書 |
宇野亀雄[うの かめお]
宇野 亀雄(うの かめお、生年不明 - 1944年(昭和19年)6月24日〔公式には8月2日。なお1944年7月30日付に「伊52」から電報が発せられたという、当時の滞欧武官の証言がある。この電報は誤字が多く、解読も困難なものであったとされ、海軍潜水艦関係者で組織される「伊呂波会」では「実在しなかったと考えるのが至当のようである」としている(『伊号潜水艦訪欧記』)〕)は、日本の海軍軍人(海兵53期卒)。太平洋戦争中に実施された第五次遣独潜水艦作戦において、「伊52」潜水艦長として戦死した。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。 == 生涯 == 宇野は福岡県出身の海兵53期生である。海軍青年士官運動の中心人物となる藤井斉ら62名が同期生で、うち10名が特高警察が作成したブラックリストに掲載されているが、宇野の名はない〔『日本陸海軍総合事典』「諸名簿」〕。1925年(大正14年)7月、海軍兵学校を卒業し、遠洋航海に向かう。53期生の遠洋航海は装甲巡洋艦「磐手」のみの編成であり、艦長の枝原百合一が指揮を執り、高須四郎、戸塚道太郎、渡名喜守定らの幹部〔『拝謁天機奉伺 (5)』〕のもと、浦塩斯徳や、豪州への航海で実務訓練を受けた〔『回想の海軍ひとすじ物語』20-24頁〕。翌年12月、海軍少尉に任官。宇野は潜水艦を専門とする士官となり、潜水艦長として太平洋戦争を戦うこととなる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇野亀雄」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|