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守子女王[しゅし] 守子女王(しゅし(もりこ)じょおう、天永2年(1111年) - 保元元年3月29日(1156年4月20日))は、平安時代後期の皇族。伊勢斎宮。父は輔仁親王(後三条天皇の第3皇子)で、母は源師忠の女。源有仁の同母妹。伏見斎宮と号された。 保安4年6月9日(1123年7月3日)伊勢斎宮に卜定。天治元年4月23日(1124年6月7日)に初斎院に入り、同年9月27日(1124年11月4日)、野宮入り。天治2年9月14日(1125年10月12日)、伊勢へ群行。在任18年の後、永治元年12月7日(1142年1月5日)、崇徳天皇譲位のため退下。康治元年8月14日(1142年9月5日)帰京。保元元年(1156年)3月29日、46歳で薨去した。 == 参考文献 ==
*芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。 *角田文衛監修『平安時代史事典』角川書店、1994年。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「守子女王」の詳細全文を読む
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