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安中重繁[あんなか しげしげ] 安中 重繁(あんなか しげしげ〔「重繁」の読みは黒田(2000)では「しげしげ」としているが、異説もある。〕、生没年不詳)は、戦国時代の武将。上野国山内上杉氏、甲斐国武田氏の家臣。受領名は越前守。父は安中長繁とも。室は沼田顕泰の娘、長野憲業の娘。子に景繁、高田繁頼室、某(次男。上杉謙信の人質。久繁か?〔黒田、2013年、P205〕)。安中城城主。 なお、『和田記』など近世の著作では、越前守の実名を忠政(ただまさ)とするものがあるが、古文書から裏付けられる実名は重繁である。 == 略歴 == 安中氏は上野碓氷郡を本拠とした国人。重繁は安中宮内少輔長繁の後継者と見られている。関東管領山内上杉氏に従属し、上杉家臣長尾氏の同心となる。ただし、重繁以前に越前守を名乗っていた当主はおらず、嫡流である長繁またはその後継者が上杉憲政に従って越後国に落ち延びた後に、庶子である重繁が惣領の地位を継いで北条氏に従ったとする説もある〔黒田、2013年、P200-201・208〕。永禄3年(1560年)の越後上杉氏の上野侵攻に際しては上杉氏に属し、松井田城を領有する。 永禄4年(1561年)に武田氏が上野に侵攻すると、翌永禄5年(1562年)9月頃に重繁は武田氏に降伏し、上野先方衆となる〔黒田基樹は「戦国期上野安中氏に関する基礎的考察」において永禄6年のこととするが、後に「戦国期安中氏の動向」において永禄5年に自説を訂正している。〕。武田氏に従属後は家督を嫡男の景繁に譲り隠居する。なお、『甲陽軍鑑』(品第卅三)に越前守(重繁)が「成敗」されたとあるが、降伏した時に切腹・処刑された訳ではなく、重繁が松井田城を没収されて隠居・出家に追い込まれたことを「成敗」と称されたとみられる〔黒田、1997年、P90・92〕。その後、永禄11年(1568年)までの活動が確認される(「長伝寺文書」)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安中重繁」の詳細全文を読む
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