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安倍吉平[あべ の よしひら]
安倍 吉平(あべ の よしひら、天暦8年(954年)? - 万寿3年12月18日(1027年1月28日))は平安時代の陰陽師、陰陽家。安倍晴明の長男(異説あり)。陰陽博士・陰陽助・主計助・主計頭・大膳大夫・穀倉院別当などを歴任。位階は従四位上。 == 実績 == 安倍吉平は正暦2年に陰陽博士であったことが知られ、同4年頃に陰陽助などを務めた後、長和5年に従四位下に叙され、弟・安倍吉昌死去後の寛仁3年6月9日に天文密奏の宣旨を受けた。治安元年(1021年)の春日大社行幸の準備の功労によって従四位上に叙される。 吉平は父である晴明と同じく、藤原道長や藤原実資などに重用されている。「宝物集」には道長の子である藤原頼通に取り付いた具平親王の亡霊を賀茂保憲の子である賀茂光栄と共に祈祷し、また勅命などによって祈雨のための五龍祭や災厄除去のための四角四堺祭等を陰陽師として執り行っている(「日本紀略」など)。このように吉平は安倍晴明の後継者であり、また天文道宗家ひいては陰陽道宗家として弟の吉昌、もう一方の陰陽道宗家である賀茂氏の賀茂光栄らと共に陰陽寮を取り仕切っていた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安倍吉平」の詳細全文を読む
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