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安倍安仁 : ウィキペディア日本語版
安倍安仁[あべ の やすひと]

安倍 安仁(あべ の やすひと)は、平安時代前期の公卿参議安倍寛麻呂の次男。官位正三位大納言
== 経歴 ==
若くして校書殿に出仕したのち、嵯峨朝では山城大掾中務少丞民部少丞を歴任する。
天長年間の初頭に近江権大掾に任ぜられるが、同国の介であった藤原弟雄に信頼され政事を委ねられた。安仁が地方官として政事を行うにあたって万事滞りなくやりきるとして、その名声は朝廷にまで届き、天長3年(826年蔵人に任ぜられ、天長5年(828年)には従五位下信濃介に昇進した。信濃介を3年務める間、同国内は粛然とした様子であったといい、のちに嵯峨上皇が諸国司の優劣を評議した際には、安仁の信濃介に及ぶ者はないと評したという〔。天長8年(831年)地方官としての功績により従五位上に叙せられる。
天長10年(833年)3月の仁明天皇即位に伴い蔵人頭に任ぜられると、同年11月に正五位下承和3年(836年従四位下と急速に昇進し、承和5年(838年参議刑部卿に任ぜられ公卿に列した。
この間の承和2年(835年)には勅により嵯峨上皇の身近に仕えるが、上皇に非常に信任されて嵯峨院別当を務め、諸事の決定を委ねられた。かつて、院の諸事が滞り院に仕える人々は悩んでいたが、安仁が別当に任ぜられると、わずかの間にうまくまとめて処理してしまったことから、上皇に褒め称えられたという。のち、上皇に山院の諸事を取り仕切るより国の重要な政務を扱う官職に就くべき、と言われ、承和7年(840年)に左大弁を兼任する一方院別当を辞職する。しかしその後、院の諸事がうまくいかなくなったことから、結局安仁が再度院別当に還任し、安仁は夜明けには弁官の業務に就き、退朝後は必ず嵯峨院に伺うようになった。朝廷から院まで原野数里を頻繁に往来する様子に朝廷が憐れみ、特に選んで院に出仕するのに都合の良い官職に転じたという。〔『日本三代実録』貞観元年4月23日条〕
承和9年(842年)正月に大蔵卿に転じ、同年に発生した承和の変後の8月に道康親王(のち文徳天皇)が皇太子に立てられると、その春宮大夫に任ぜられた。承和11年(844年)従四位上と8年ぶりに昇叙されると、承和13年(846年正四位下・右大弁、承和15年(848年従三位中納言と再び急速に昇進を果たした。
嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位に伴い正三位に叙せられ、斉衡3年(856年権大納言、翌天安元年(857年)には大納言兼右近衛大将に至っている。貞観元年(859年)4月23日薨去享年67。最終官位は大納言正三位兼行民部卿陸奥出羽按察使

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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