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安倍晴道 : ウィキペディア日本語版
安倍晴道[あべ の はるみち]
安倍 晴道(あべ の はるみち、嘉保元年(1094年)-仁平3年3月1日1153年3月27日))は、平安時代後期の貴族陰陽師安倍兼吉の子。初名は兼時。正五位下陰陽権助天文博士
== 経歴 ==
晴道の祖父・安倍円弼安倍吉平の子とされているが、実子ではなく吉平の父・安倍晴明の門人が安倍氏一族に加えられたとする説がある〔村山修一「関東陰陽道の成立」(『史林』49巻4号、1966年)〕。官職的には振るわなかったが、安倍氏嫡流安倍泰長政文親子が相次いで没し、政文の弟である15歳の安倍泰親が急遽後継者に立てられると、一族の中で技能に優れた晴道が泰親を元服させ、陰陽道のことを伝授した〔『医陰系図』〕。このため、晴道は泰親とともに安倍氏の氏長者としての立場を認められていた〔『中右記』『長秋記』長承元年5月15日条〕。ところが、長承元年(1132年)になって政文の遺児が晴明以来の安倍氏の土御門邸を売却し、それを知った晴道がこれを買い取ろうとしたために、既に23歳となり既に陰陽師として独り立ちしていた泰親が異論を挟んで晴道と相論になった。なお、泰親は九条兼実に対して晴道は藤原頼長の前で彗星の解釈を誤ったと非難〔『玉葉嘉応元年4月10日条〕しており、このことは晴道およびその一族の台頭に対する嫡流家側の危機感を窺わせる。
晴道の没後、泰親が氏長者としての地位を回復させるが、晴道の子孫は「晴道党」と呼ばれて嫡流に対抗する勢力へと成長し、安倍宗明(実質はその子安倍広賢)を祖とする「宗明流」とともに嫡流を脅かす存在となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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