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安全区委員会 : ウィキペディア日本語版
南京安全区国際委員会[なんきんあんぜんくこくさいいいんかい]
南京安全区国際委員会(なんきんあんぜんくこくさいいいんかい、The International Committee for Nanking Safety Zone)は、南京難民区国際委員会ともいい、日中戦争初期の南京攻略戦に際し、戦災で家を失い南京に流入してきた難民や、南京から避難できない貧しい市民などを救済するために、南京城内の一部に安全区(難民区)を設定した組織。アメリカ人宣教師を中心とする15名ほどによって組織された。
== 略歴 ==

* 1937年10月中旬 金陵大学マイナー・シール・ベイツ、、、W・プラマー・ミルズらが、同大学教授で社会学者のロッシング・バックの邸宅を借りて共同生活を始める。この頃から南京で難民を救済する施設を作る計画を話し合う。
* 11月17日 ベイツ、スマイス、ミルズの3人は、アメリカ大使館員ウィリヤ・R・ペックに、南京に安全区を設置する計画を説明し、中華民国日本両政府に認知させるための仲介役を依頼する。同日、ミニー・ヴォートリンからも、同趣旨の手紙を受け取る。このことを受け、ペックは、国民政府立法院委員長・孫科、抗戦最高統帥部第二部長・張群、南京市長・馬超俊らに非公式に伝えた。
* 11月22日 南京安全区国際委員会が結成される。委員長は、ジーメンス南京支社の支配人であるジョン・H・D・ラーベが就く。
* 12月8日 『告南京市民書』を配布し、安全区への市民の避難を呼びかける。
* 12月13日 南京陥落。
* 1938年2月18日 南京国際救済委員会に改称。
* 5月末 日本軍当局、南京安全区を閉鎖。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南京安全区国際委員会」の詳細全文を読む



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