翻訳と辞書
Words near each other
・ 安島昶
・ 安島晟
・ 安島氏
・ 安島清広
・ 安島清正
・ 安島瑶山
・ 安島直人
・ 安島直円
・ 安島英一
・ 安島重三郎
安島鉄三郎
・ 安島鉄次郎
・ 安崎暁
・ 安崎求
・ 安崎直幹
・ 安嶋弥
・ 安嶋氏
・ 安川
・ 安川メカトレック
・ 安川・平山論争


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

安島鉄三郎 : ウィキペディア日本語版
佐藤鉄三郎[さとう てつさぶろう]
佐藤 鉄三郎(さとう てつさぶろう、天保7年(1836年) - 大正4年(1915年1月25日)は、幕末志士水戸藩士。本姓藤原氏。家系は佐藤氏佐藤清剣の四男。ははじめ教寛、次いで寛と名乗る。変名に安島鉄三郎。著書に『佐寛筆記』がある。
安政の大獄により、水戸藩では家老安島帯刀茅根伊予之介をはじめとする尊王派が弾圧される中で、佐藤ら大老井伊直弼の弾圧に義憤した志士は、井伊暗殺を企図した。同じく水戸藩士の安島俊次郎彦根藩邸に潜入し密偵調査を重ね、一方、鉄三郎らも水戸・薩摩の有志を奔走し、安政7年(1860年)3月、同じく水戸藩士の金子孫二郎日本橋一旗亭にて謀議し大老暗殺を計画した。桜田門外の変が起きると、金子ともども上洛しようとして、伊勢国四日市で薩摩藩に拘束され伏見奉行所に連行された。3月24日、江戸に護送され、文久元年(1861年7月26日追放となる。翌年許され、余生を江戸で過ごした〔日本歴史学会編『明治維新人名辞典』(吉川弘文館1981年)〕。
==脚注==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐藤鉄三郎」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.