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安川繁成[やすかわ しげなり]
安川 繁成(やすかわ しげなり、1839年(天保10年)3月 - 1906年(明治39年)8月29日)は、明治期の官僚、政治家。衆議院議員(1期)。正三位勲三等瑞宝章。 == 経歴 == 上野国生まれ。磐城棚倉藩士・岩崎八十吉の四男。 白河藩士を継ぎ、大鳥圭介の塾に学ぶ。開成所に転じて1867年(慶応3年)慶應義塾に転じ大村益次郎の知遇を得る。慶應義塾卒業後、『開明鑑記』の編集者となる。 版籍奉還の際に森有礼に推されて行政官に。その後岩倉具視に命じられて欧米を視察。工部省書記官、会計検査院部長、日本鉄道会社監査役、愛国生命保険社長を歴任した。1898年(明治31年)には、第6回衆議院議員総選挙に当選し憲政本党に所属した。 1906年(明治39年)、腎炎と糖尿病のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)29頁〕。
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